由来
みつばの原産地は日本や中国などで、
野生種は山野に自生していたものを
つみとって古くから食用されていたといわれています。
日本では享保年間(1720年頃)に、現在の東京都葛飾区水元町で軟白栽培が始まり、天保年間(1835年頃)には覆いをして 早出し出荷をするほど人気がありました。
古い書物にも、みつばの記述がされており、「農業全書(1697年)」では栽培法や簡単な食べ方が記され、「大和本草(1709年)」ではイラストが描かれています。
江戸時代の本草学者、儒学者である、貝原益軒の『菜譜』には「野蜀葵(みつばぜり)」として、「本草にのせず。救荒本草(明代に書かれた本)に見えたり。毒なし。性は大抵芹に同じかるべし。・・・・・・其茎味よし。むかしは食わず。近年食する事をして、市にもうる。」とあるように、古くはあまり食用とされなかったようです。
三葉とも細芹とも書き、江戸時代前期の医師、本草家である人見必大の『本朝食鑑』は三葉芹として、意味は「字のとおりである。和名は付加豆美。京俗では牛乃比多伊という」と書いていますが、漢名の石龍へいはキンポウゲ科のタガラシのことですから、必大は葉形のよく似た植物と間違えていたようです。
現代
現在ではほとんどのみつばが水耕栽培によって栽培されており、
水耕の糸みつばは、養液栽培で生産される軟弱野菜の中では
最も作付け面積と生産量の多い野菜です。
水耕栽培の歴史としては、1967年頃大阪泉南地区で、れき耕栽培による根みつばの栽培が行われたのが最初であるといわれています。
その後、同地域にトレイ式のクボタプラント、ハイポニカシステムなどが導入されました。
一方、ウレタン培地は、1964年頃から各地で試験が行われ、ウレタンに直接は種して育苗する水耕システムが考案されました。
また、発泡スチロール製の定植パネルの植え穴に、ウレタンキューブで育苗した苗を植え込む方式のM式水耕や、新和式等量交換水耕などのシステムが相次いで開発され、普及に弾みがつきました。